芭蕉塚古墳

 芭蕉塚古墳と呼ばれ京都府城陽市平川茶屋裏の段丘平坦面にあります。
 墳丘はほぼ完全な状態が保たれています。
 上記名称のほかに、童子山古墳とも呼ばれることがあります。
 芭蕉塚古墳の地図 現地へ訪れてはいませんので現在の状況などの点で資料が中心に説明を加えました。
 地図などに示されていることから現存していることはうかがい知れます。
 墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で前方後円墳と呼ばれています。
 墳丘の規模は、三段構築された後円部の径63m、高さ9.1mで、前方部の最大幅は65m、高さ7mを測り、墳丘全長は114mとなっています。
 基本的には土が盛られて造られたものなので1500年あまりの年月の風雪に耐えながらも自然崩壊など発生しています。
 コンクリートなどで固められたものなら、それ相当の数値誤差も少なくなりますが、
 また水平面を出してから築造されたものなど皆無です。
 どこからどこまでを墳丘としたのかが明確なものはないといっても過言はありません。
 現在のような機械的測量をおこなって築造されていないわけですから、これらの規模数値もおおむねとして捉えるのが良いでしょう。
 現在でもなわ、木などの自然素材だけをつかって測量したなら、完全な水平面や長さを測ることなどほぼ不可能と思われますから、これらの規模の計測数値は必ずしも確定的なものではありません。
 前方部右側前面に5×30mの造り出し部が付設されています。
 墳丘の周囲には幅11.4〜15.5mの楯形をした周濠があります。
 この周濠のさらに外側には幅12mの堤があります。
 これらの外周施設をふくめた兆域の全長が166mになることが知られています。
 円筒埴輪、朝顔形埴輪、靫形埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪、壷形埴輪、家形埴輪などが採取されており墳丘には埴輪の配列がなされていました。
 葺石が墳丘に施されていたとみられています。
 現地を確認したわけではありませんが、道路地図や資料から判断する限りでは、久津川駅からそれほど遠くはないので車を利用されない方でも訪れるのに苦労することはありません。
 1988年に調査、発掘調査が2002年に行われています。
 久津川古墳群を構成しています。
 この京都府の山城地域は桓武天皇以前は山背ともよばれ同じ畿内に属する地域の中では辺境の地とされていたと推測されます。
 この古墳の築造は古墳時代の中期にあたる5世紀後半ごろと推定されています。
 道路地図に記載されており京都府または城陽市の史跡に指定されているのではないかと推測できます。
 
周辺の検索周辺の古墳
別名称童子山古墳
所在地京都府城陽市
平川茶屋裏
形 式前方後円墳
規 模全 長114 m
後円部直 径63 m
高 さ9.1 m
前方部先端幅65 m
高 さ7 m
築 造5世紀後半
参 考 
 文 献
続日本古墳大辞典
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